ある一人の天才が存在する以前と、以後では、私たちの世界に対する認識はまったく別物になってしまう。 天才は世界を変革するのである。そのことの最も分かりやすい例が17世紀のガリレオ・ガリレイという天才といえるだろう。

ガリレオという名前を有名にさせているのは、コペルニクスの地動説を支持し、木星衛星、金星の満ち欠け、 太陽の黒点といった地動説に有利な現象を多く発見し、地動説を補強、自らも唱えたという事実(著書「天文対話」)と、 そのことが原因とされる異端審問裁判の逸話だ。(ガリレオが「それでも地球は回っている」と叫んだというのは後世の創作とされる)

ガリレオの業績は地動説を主張したことだけではない。彼の偉大さは、天体の在り方についての認識を変革しただけでなく、 科学的な手法に「実験」を取り入れたところにもある。この「実験科学」の手法によってガリレオは多くの法則を発見した。

その一つが「落体の法則」(ピサの斜塔から大小の鉄球を落としたというのも伝説らしい)

「落下する物体はその重量の軽重に関わらず落下の速度は同じ」

というものだ。落下する物体は均等に加速されるから、落下速度が時間に比例すると推論し、それを数学的に証明した。 さらに落下距離が落下時間の平方に比例すると演繹的に推論し、斜面を転がる鉄球の通過時間の測定実験によって実証した。 さまざまな傾き、さまざまな重さの球体で実験したところ、斜面の端に達する時間は同時だった。


「仮説」「数学的演繹」「実験による証明」という段階を踏んで実証を行うガリレオの手法は画期的であり、ここに機械論的な世界が幕を明けようとしていた。

ガリレオは、その他「振り子の等時性」「慣性の法則」(のちにニュートンが運動法則として定義し直す)など重要な発見をいくつもものにしている。
しかし、裁判に敗れた彼は、異端者として一生を謹慎処分のうちに終えた。この天才に後世作られた伝説がいくつも存在するのは、 その才能業績に較べてあまりに不遇な生前のガリレオを後の科学者、識者が同情したためだと思われる。


晩年のガリレオは失明をしたにもかかわらず、弟子の口述筆記で「新科学対話」をオランダより発刊。 その4年後に病没。死の床にあっても信念を持ちつづけた科学者だった。


アリストテレス
目的論的秩序の世界 
アルキメデス
我地球を動かさん 
ケプラー
物理を支える惑星運動 
ガリレオ
機械論的世界の幕開け 
ニュートン
プリンキピアの奇跡 
マクスウェル
光を形成する電磁波 
ラザフォード
核物理学の良き指導者 
アインシュタイン
時空を歪ませた相対論 
ボーア
確率論的に存在する世界 
シュレーディンガー
猫と量子力学のパラドックス 
ショックレー
電子機械の立役者 
湯川秀樹
日本人初のノーベル賞 
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