自然科学の歴史における最も重要な科学者の一人にして、最大最高の天才。
という呼称が少しもおおげさに聞こえない、その人の名前をアイザック・ニュートンという。
ニュートンは1642年、ちょうど前述のガリレオと入れ替わりで生を受けた。木から落ちるりんごの実を見て、
万有引力を発見したとする逸話を持つあのニュートンである。天才というものは過去に伝説を創作されやすいものらしい。
ケンブリッジのトリニティに準免費生としてフェローの使い走りや、ホールでの給仕、靴洗いをしながら学業を開始したニュートンは、
猛烈な意欲で学業に取り組み、二年足らずの間に独学で数学、科学を身に付けた。
卒業前に特待生となり準免費生に課せられる雑用から自由となっただけでなく、大学での給費つき研究生活が四年保証された。
ニュートンは、尋常ではない集中力で研究に没頭できる人間だった。その証左はいわゆる「驚異の年」で私たちにも明らかとなる。
イングランドで猛威を振るっていたペストの影響を受け、ケンブリッジ大学も閉鎖される事態となり、
ニュートンも故郷ウールズソープ村へ避難を余儀なくされる。しかし、ニュートンはその1年半ほどの期間で、
万有引力、微積分、光と色についての理論など、のちにまとめられ発表されることとなる大理論の端緒を発見、その萌芽を見ていたのだ。
恩師バローから名誉あるルーカス教授職を譲られたニュートンだったが、
驚異の年に発見された3つの大法則はいつまでたっても公にむけて発表される気配が無かった。
ニュートンはなんと錬金術と聖書の研究に没頭していたのである。
そんなニュートンを自然科学の世界に引き戻したのがハレー彗星の発見者ハレーだった。
ハレーはニュートンに「引力が距離の二乗に反比例する時、惑星の軌道はどうなるでしょうか」と問うた。
即座に「楕円だ」と答えたニュートンだったが、「計算を見せてください」とせがむハレーに「見つからないから新しく書いて送る」と答えた。
ニュートンはこれを、以前に光と色の理論で自分に厳しい批判をくわえたフックの挑戦だと受け取った。
異常なほどの負けず嫌いだったニュートンはこれから1年半、「驚異の年」を越えるであろう、
ほとんど人間業をこえた勢いで、力学、数学、天文学にわたる研究に打ち込む。
三ヵ月後ハレーにあてた手紙、というより論文の質問の答えにくわえて、ケプラーの第三法則まで数学的に証明してあった。
これをきっかけにニュートンは、力学と天文学を一つの体系にまとめるという途方もない研究に没頭する。
そして書き渋り、公表をためらうニュートンをなだめすかし、出版の費用まで受け持ったハレーのおかげで、
ついに1686年「自然科学の数学的原理」(プリンキピア)は完成、王立協会に提出され、刊行されることとなった。
「プリンキピア」は自然科学史における最大の事件だった。これまで存在した天才たちが綿々とつらなり築きあげてきた、
力学、物理学、天文学の世界を全部まとめて一挙に、変革してしまったからである。
そのうち、力学について、ニュートンの運動の法則と、万有引力の法則を簡単にまとめると次のようになる。
運動の法則
第1法則:慣性の法則
「外部から力を受けない限り、物体はその運動状態を維持する」
(静止を続ける、または、等速直線運動を続ける)
第2法則:ニュートンの運動方程式
「物体が受ける力Fは、物体の質量mと加速度aの積に比例する」
F=ma=dmv/dt
第3法則:作用・反作用の法則
「二つの物体A、Bの間に働く力は一方の物体に働くだけでなく、もう一方への反作用の力が働く」
Fab=−Fba
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万有引力
万有引力とは、現在一般に「重力」と呼ばれているものを指す、質量を持つ物質の間に働く力をいう。
2個の物体間には、互いに逆の引く力が加わり、その力の大きさFは次の式のようになる。
F=G・Mm/d^2
Gは万有引力定数、物体の質量はM、m、2個の物体の距離はd
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「驚異の年」から二十年後になってようやく、力学については「プリンキピア」で明らかにされたが、
数学と光学にいたっては、なんと三十八年を閲してのことだった。
物理学だけでなく、最高の数学者ともされるニュートンがはじめて数学論文を発表したのは六十一歳になってからだった。
ニュートンがいなければ、文明はどれほど遅れていただろう。数十年か、百年か、それ以上か。
天才は単に世界の解釈を変更するわけではない、実際に私たちの生活まで大きな影響を与えているのだ。
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