ヨハネス・ケプラーはどちらかと言えば天文学者・数学者としての側面が強い。
しかし、彼の提唱した理論は、同時期に活躍した物理学者、ガリレオ・ガリレイやアイザック・ニュートンらの理論の裏付けとなり、
古典物理学や天体物理学の成立の一翼を担うこととなる。
ケプラーの提唱した理論は「惑星運動の法則」、俗に言う「ケプラーの法則」である。
ケプラーの法則は「恒星を中心として周回する惑星の軌道は楕円である」ということを立証したことで有名であるが、
実際には惑星の運動に関する法則であり、その法則は第1から第3まで存在する。
ケプラーの法則
第1法則
惑星は太陽を焦点とした楕円軌道で公転している
第2法則
惑星の中心と太陽中心が結ぶ直線が、一定の時間に描く面積は常に一定である
第3法則
惑星の公転周期の2乗は、楕円軌道の長半径の3乗に比例する
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これらの法則は、偉大な天文学者、ティコ・ブラーエの火星に関する観測記録を説明するために生み出されたものである。
しかし、この法則は発表時から、人々にほとんど認められることはなかった。
なぜならば、ケプラーがこの法則を提唱する以前の天文学では、恒星を中心とする惑星の軌道は完全な円であると信じられていたからである。
余談ではあるが、同時期に活躍した物理学者、ガリレオ・ガリレイも、このケプラーの法則を頑なに認めなかった人物の一人であった。
結局、この大発見は彼の生前に認められることはなかった。この時代に起きた宗教対立により、プロテスタントだったケプラーは様々な弾圧を受け、 のたれ死に同然で病死したとされている。
ケプラーの法則が世に認められたのは、彼の死語に生まれた天才、
アイザック・ニュートンによって提唱された「万有引力の法則」によってである。
ニュートン自身が提唱した運動の法則(ニュートン力学)とケプラーの法則を中心として展開された法則が、万有引力だった。
「もしケプラーの法則がなければ、万有引力の法則も生まれなかった」
ニュートンが言った言葉が示すとおり、ケプラーの法則は偉大な理論だったと言えるだろう。
ケプラーは惑星運動の法則の他に、数多くの物理モデルを出したとされているが、
それらはモデルとして間違っていたために、あまり表には出ていない。
しかし、それらの物理モデルは数学的な裏付けを持ったものであり、そういった方法で提出したのは、彼が先駆者とされている。
後の物理学への影響を考えると、それこそが彼の本当の業績と呼べるかもしれない。
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